イスラエルは三大宗教の聖地
- イスラエルは、いまやシリコンバレーに次ぐITの繁栄国
- ユダヤ教、イラスム教、キリスト教は、長年、神様アブラハムの土地を奪い合ってきた
こんにちは。ジョン・キムです。
今回は、私が10日間ほど滞在してきたイスラエルでの体験と気づきをおはなしします。
じつは、イスラエルはいま、シリコンバレーに次ぐ、ITイノベーション、ITベンチャーが繁栄、躍進している国です。
今回の旅では、投資家や政府の方、大学の方々に会って、さまざまなことをヒアリングするという目的がありました。
また、エルサレムはユダヤ教、イスラム教、キリスト教という三大宗教の聖地です。たった数百メートルの土地のなかに、こんなパワースポットはほかにないというくらいのパワーがあふれていることを、肌で感じて理解したい――。そんな思いをもって、現地に赴きました。
実際に足を踏み入れてみると、3つの宗教が共存していて、たった数百メートルの空間のなかで「イスラムのマホメットがここから空に飛び立った」「キリストが十字架を背負い、ここを歩いた」という話が展開されています。
イスラエルの地域は、もともとアブラハムの街といわれています。アブラハムは三大宗教にとって神様のような存在です。その神様の地を手に入れることが、人類のなかで、神への正統性があるということになります。
ですから、それぞれの宗教が、「ここは自分たちの領地だ」と主張して、長い歴史のなか、奪い合いをしたのです。
イスラエルは、ユダヤ人によって形づくられた
- 三代宗教は、誰が神から一番啓示を受けているかを競い合った
- イスラエル国民の80〜90%がユダヤ系
- 多文化多人種でも、ユダヤ教の結束力はとても強い
現在では、イスラム教とキリスト教、ユダヤ教は戦っていて敵同士のように見えますが、じつはもともとの神はひとつで、その神から誰が一番啓示を受けて祝福されたかという、いわゆる「自己主張」がそれぞれの宗教になっているのです。そのことを今回学びました。
また、イスラエルはユダヤ人によって形づくられた国です。
世界には1500万人ほどのユダヤ人がいるといわれており、その半数がイスラエルにいます。
イスラエルの国民の80~90%はユダヤ教です。約10%がイスラム教、そして3%くらいがキリスト教といわれています。
世界中からユダヤ教という共通点だけでこの国に集まっているため、本当に多文化、多人種です。アフリカ、ロシア、アメリカ、ヨーロッパなどから渡ってきた人たちもいます。彼らの共通点はヘブライ語を話すことです。
今回、現地の人々に触れてみて、宗教的なつながりがあれば、育ってきた環境が違っても結束力がとても強いのだということが、垣間見えました。
イスラエルは愛や優しさのある安全な国
- じつは日本よりも安全!?
- ユダヤ教を信じる多文化・多人種の人々のきょうだい愛を感じられる
- みんながとても親切で、愛と優しさにあふれた街
現地を訪れてみて意外だったのは、思っていた以上にイスラエルが安全だったことです。日本よりも安全かもしれません。
これはあまり想像できないことではないでしょうか?
たとえば、イスラエルをGoogleで画像検索してみると、戦争を想起させるような恐ろしい画像ばかりが出てきます。
とくに日本の場合は、70年代にテルアビブの空港で日本赤軍がテロ事件を起こしたときの印象が強く残っている人もいるでしょう。
日本人からすると、イスラエルやテルアビブは、特別に恐怖を感じる土地かもしれません。
もちろん、カザ地区、ヨルダン、パレスチナの国境と接している地域では危険ともいわれていますが、それ以外のエルサレムを含めた地域は、非常に安全でした。
加えて、印象的だったのは、現地の人々の素晴らしさです。
そこに住んでいるすべての人たちが、さまざまな文化や人種が存在するなかで生きているわけですが、ユダヤ教という同じ神を信じている同志であり、2000年間、自分たちが世界を放浪しながら最終的に勝ち取った土地だという意識もあり、街のなかにきょうだい愛があふれているかんじがしました。
ですから、いろいろなお店に行っても、みんながとても親切なのです。想像もしていなかったことでしたが、愛や優しさを感じられる街でした。
ユダヤ人は子どもへの教育に熱心
- FacebookやGoogleの代表をはじめ、シリコンバレーのトップにはユダヤ人が多い
- ノーベル賞受賞者の3〜4割がユダヤ人
- いつ迫害されてもおかしくない状況のなか、ユダヤ人は知識や知性、人脈を徹底して鍛えてきた
さまざまな起業家や、政府の役人、ユダヤ人たちとたくさん会うなかで、「なぜ、この人たちが世界を牛耳っているのか」という疑問を抱きました。
IT社会でも、Facebookのマーク・ザッカーバーグやGoogleのセルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、オラクルのラリー・エリソンなど、シリコンバレーのトップの人たちには、ユダヤ人が数多くいます。
彼らは、なぜここまで経済的にも活躍しているのでしょうか?
またノーベル賞の受賞者の3~4割がユダヤ人ともいわれています。そのくらい彼らは頭がいいのです。なぜでしょうか?
それには、こんな背景があります。
ユダヤ人は世界と離れ離れになり、いつ迫害されてもおかしくないという状況に陥っていました。そんななかで不動産を所有するのは難しい。
では自分たちがいつ違う国を訪れても、持っていけるものは何なのか。
それは、知識や知性、人脈だと考えたのです。
ですから、ユダヤ人の親は、子どもに対して幼い頃から非常に熱心な教育をします。彼らは、ディベートを重視し、理性を信じる教育を施します。ユダヤ人が、疑問や質問、ディベートや論争を好むのは、こういった教育背景があるからです。
ユダヤ人が圧倒的に優秀な理由
- 彼らは「なぜ?」という問いが、物事の本質にたどり着く近道だと知っている
- 「前提」や「当たり前」を受け入れない
- 疑問を抱き、課題を探し、自分の意見を表明する習慣をもっている
ユダヤ人はよく交渉が上手といわれています。
彼らの思考が発達しているのはなぜなのでしょうか。
それは、すべての物事に疑問を抱くからです。
彼らは、かならずwhy(なぜ?)と聞きます。
「なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?」と聞いていくと、物事の本質にたどり着く。つまり、質問することが物事の本質にたどり着く近道であることを知っているのです。
そして、彼らには、すべてにおいて「当たり前」がありません。
「当たり前」という発想が多くなればなるほど、イノベーション(新しい切り口)は生まれなくなります。
日本では、イノベーションよりも改善が多くみられます。
ひとつの目標に向かって、みんなが文句も言わず、異論も挟まず、協力しながら淡々と物事をこなすことで、最終的によい製品ができあがるという方法で経済が成り立っています。
一方、イスラエルの人たちは対照的で、すべてに対して「なぜなぜ?」「どうしてどうして?」という問いから始めます。それが結果的に新しい製品を生み出したり、新しい問題を発見したり、新しい解決策を見出すきっかけになっているのではないでしょうか。
当たり前は思考停止を生んでしまう。でも、彼らには当たり前がない分、思考が常に動いているのです。
疑問を持ち、その課題は何なのかを自分で見つけ、そのことについて追求したり、声に出して相手に伝えたり、返事がくれば、また質問をして…、と繰り返して会話が成り立っていきます。
IT企業をはじめ、政府でも企業でも、下っ端の部下が上司や経営者に質問したり、反発することが奨励されています。
上司は、質問に対して説得力のある答えを用意できなければ、評価されません。
このように、イスラエルでは表現の自由が確保されているため、自分の意見を表明することで、全体的に最適解に到達させることができます。
すべての人が当事者意識を持っているのです。
日本の組織では、現場の声が反映されにくい
- 上層部に声をあげてはいけない文化が根づいている
- この繰り返しでは、いつまでたっても改革はなされない
日本の企業では、たとえば現場の人たちには「これはお客様に喜ばれるものではない」という課題が見えていたとしても、なかなかその課題を上層部に伝えたり、意見を進言することができない文化であることが多いのではないでしょうか。
「下っ端が意見を言ってはいけない」
「生意気なことを言ってはいけない」
という文化の会社も数多くあります。
しかし、それを繰り返していると、いつまでたってもよいものは生まれず、改革がなされることはありません。
小さな疑問の積み重ねが、最終的には飛行機の事故にまでつながってしまうことにもなり得るのですから、これはとても危険な兆候です。
ユダヤ人は世界一嫌われてもいいという勇気を持っている
- いい人になろうとしなければ、革新的な仕事ができる
- 日本人も「嫌われてもいい」という勇気を持とう
- 理想は、ユダヤ人よりうるさくなく、日本人より静かではないキャラクター
ユダヤ人は、「嫌われてもいいから、自分が思っていることを発することが大切なのだ」という意識を持っています。
いい人になろうとしない。つまり、ユダヤ人は嫌われることも多いわけです。でも、そのスタンスが、結果的に自分たちにとって納得のいく仕事ができて、結果的にイノベイティブな(革新的な)製品を生み出す根源になっているのではないかと思います。
彼らは世界一嫌われてもいいという勇気を持っているのです。
だからこそ、自分たちが思っていることや信念を貫く強さを身につけています。そのことを、今回の旅では、とても強く感じました。
これをそのまま日本で実行しようとすると、ただのうるさい人になってしまいます。ただ、日本人には、当たり前を疑うことや、「嫌われてもいい」という勇気が、足りなさすぎるように思います。
「これはこういうものだから」
「これは当たり前だから」
「これはみんながやっているから」
そう言われてしまうと、すぐに黙ってしまいますよね。
一番理想的なのは、ユダヤ人よりはうるさくないけれど、日本人よりは静かではない、というくらいのところでしょうか。
そんな生き方や働き方を奨励するような組織文化、社会の空気感を作ることが、求められているのではないでしょうか。
体験に勝るものはない
- 実際に足を踏み入れてみなければ、本当のことはわからない
- これからは、経験すること自体が価値になっていく
- できればほかの人がしていない、ちょっとユニークな体験をしよう
今回、実際にイスラエルを訪れてみて、この国に何度も来たいなと感じました。また、エルサレムという人類の聖地が集まっている場に足を踏み入れたことで、宗教を見る目や、人類の歴史を見る目が変わりました。
世界が誰の手によって、どう制御され、コントロールされているのかということも、少しはわかった気がします。
いかに自分が無知だったのかを、気づかせてもらえた旅でした。
料理もおいしく、想像していたよりもはるかに安全で、美しい国だったということも、加えて触れておきたいところです。
これは、訪れてみなければ、わからないことでした。
私たちは日頃、わからないことがあればインターネットで検索して調べます。Googleで、イスラエルを画像検索して見てみると、行ってもいないのに「こういう国なんだ」と、出てきた情報をそのままインプットしてしまいます。
しかし、その国や住んでいる人たちの背景を理解しようという気持ちでその現場に足を運び、その土地に触れてみると、世界の見え方がまったく変わってきます。
検索は、体験には勝てないのです。
『地球の歩き方』を読んで、行った気になっても仕方がないですよね。
日本版の『地球の歩き方』を読んで、日本を全部語れると言われたらどうですか?
実際に赴き、身体で体感することで、言語化できない何かを感じること。これが大事なのです。これからは、経験していくこと自体が価値になっていきます。
たとえば、ハワイに行ったことがある人は山ほどいます。
でも、イスラエルに行ったことがあって、歴史的な背景や宗教的なことを語れるようになるほどの体験なら、なおさら大きな価値になります。
人がしていない経験は、そのまま価値になったり、コンテンツになったりします。
まず体験するということ、そして、できればちょっとユニークな体験をするだけで、ひとつまた色が加わります。
ぜひ時間を見つけてイスラエルに旅行してみたり、ほかの人たちが行かないようなところに足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。
体験することに勝るものはないのです。
アクションプラン
- あまり日本人が訪れない土地+気になる土地を探してみよう
- その土地に足を踏み入れてみよう
- 日常生活に「なぜ? なぜ? 」の問いかけを取り入れよう